Re: 花神総集編第5回

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Mar 1, 2012
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http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=552018762&tid=a1zbg2oa5ia5ia5de2s8dcobfa1z&sid=552018762&mid=4903&thr=4903&cur=4903

>そして同僚とガットリング砲の傍らで語り合います。河井「長岡藩は武装中立し、薩長会津を調停し、内戦を終結させる。」同僚「それは無理だ。せめて我が藩が百万石の身上であればだが。」河井「白刃の上を素足で渡るようなものだが。(痛そ~、つーか無理!)なあに渡ってみせるさ」と、大見得を切ってみせます。河井はとても頭のよい人にありがちなKYなところがあります。自分の弁舌と気迫で不可能はないとでも思っているのか。統一政権樹立のために薩長は反対派を根絶する必要があります。もう会議の段階ではない。戦争あるのみ。

同僚じゃなくて、嫁の兄の梛野嘉兵衛
史実の河井繼之助はその様な発言はして居ません。
司馬遼太郎の馬鹿と脚本の馬鹿の創作です。

知恵遅れには、日本刀の刃渡りが(痛そ~、つーか無理!)らしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%9C%AC%E7%A7%80%E4%B8%80#.E5.BA.83.E5.B3.B6.E5.95.86.E6.A5.AD.E5.AD.A6.E6.A0.A1

獨立特行を河井繼之助は述べたのです。
獨立特行を武装中立としか解釈出来ない知恵遅れの司馬遼太郎
獨立特行はモンロー主義の影響を受けたものです。

薩長と會津を調停する意義など有りません。

>戦争あるのみ。となれば、薩長につくか、会津につくか二弐者択一になります。

河井繼之助と共和党に密約が存在したそうです。
http://blogs.yahoo.co.jp/quasar2012q/874703.html

>現に河井が目をかけて「百万の軍勢を指揮させたい」と洋式軍隊の指揮官に抜擢した安田鉚蔵からは武装中立は非現実性であり、お家存続のためにも薩長につくべしと反論されて、説得することができず、謹慎させてしまいました。

『河井繼之助傳』を読めば安田鉚蔵の嘘だと見抜ける筈です。

百万の軍勢など何所に存在したのですか?
安田鉚蔵を洋式軍隊の指揮官に抜擢した事実は有りません。
「俺に反対しなければ、貴様を一番隊長にするぞ」の趣旨を
河井繼之助が安田鉚蔵に言ったと安田鉚蔵が嘘を吐いて居るのです。

5次元の存在に尋ねたところ、

河井繼之助と安田鉚蔵は面識が無いそうです。

薩長との開戦を決定した牧野家に反対した安田鉚蔵を、
軍奉行が禁固させたそうです。

>河井の「武装中立」は当然、会津からも理解されません。それどころか、調停をぶちこわして、長岡を西軍の敵に追い込んでやるとばかりに、会津藩兵は戦場に長岡藩の旗指物である五間梯子を撒き散らしていきました。(これは本編に登場)そんなことは露知らぬ河井は小千谷会談に臨みます。「小僧」岩村の顔はもう敵意で強張っています。

『河井繼之助傳』を読めば、デマだったと分かります。
デマだったと分かった上で、性質の悪い司馬遼太郎がデマを史実として『峠』に書いたのです。

>その後も藩へ帰らず他藩を通じて何度も再会談を懇願しますが、効なく、あきらめて引き返します。

史実では、河井繼之助は尾張の徳川家の隊に一度頼んだだけです。