これぞ、荘内

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2012.07.08
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http://www.mumyosha.co.jp/ndanda/05/bakumatu12.html

>庄内軍が引き揚げれば、今度は亀田藩が征討軍の矢面に立つ。亀田城下では十九日から藩士と家族、千七百人の逃避行が始まった。戦場で負傷し、自宅に戻ってから死んだ藩士石塚忠兵衛の妻は、棺桶がないので夫の遺体を味噌桶に入れ、上から別の味噌桶をかぶせて、通りかかった男性に頼んで庭に埋め、着の身着のままで逃げ出したという。ほとんどの人々が、同様の悲惨な状況に遭遇した。
 だが、庄内軍は、亀田藩の人々を見捨てなかった。『亀田藩戊辰史』によると、前線部隊に「亀田藩の立ち退きを見届けてから」引き揚げるようにとの「藩命」が届いていたという。最後尾についた三番大隊は、病人、老人、幼児などを象潟から二艘の船に乗せて、酒田まで送り届けている。庄内藩は、亀田藩との信義を守り通したのだ。