朝日山の戦い ~奇兵隊参謀 時山直八~

https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201207220000/

2012.07.22
XML

  

カテゴリ:カテゴリ未分類

 

 

戦況をみた山県有朋と時山直八は、まず朝日山を奪取することが先決と考え、翌朝、朝日山を攻撃するこにしました。

山県有朋は増援を求めて小千谷本営に戻り、時山直八は横渡村に残り戦備を整えました。


翌日の朝6時。

霧が晴れないうちに攻撃した方がいいと思った時山直八は、山県有朋の援軍を待たずに奇兵隊約200人を連れて朝日山に攻め込みました。

http://blog.livedoor.jp/hokutatu/archives/11230749.html

上記のブログの文章を創造主と共に歩む5次元の存在に尋ねたところ、

山縣有朋が出世競争で追い着かれた感の有る、時山直八を戦死させる謀略だったそうです。

 

>「敵兵数十人をたおし、分捕り品多数なり!我が軍の大勝利は目前である!なお奮闘して敵兵を一人も生かして返すな!」

 

史料を引用した歴史の本や小説を読めば分かりますが、「敵兵十数人」と立見鑑三郎は叫んだのです。

「敵兵数十人」なら、薩長は戦闘を継続できずに山腹から退却する筈です。 

 

>退却の際、崖から落ちて亡くなる兵士も多く、中越地震が起きる前までは「官軍が敗走の際、断崖から唐傘を広げて飛び降りた」という場所を示す看板がありました。

唐傘ではなくて、番傘です。

 

>それが落下傘を世界で初めて用いたとも書かれていましたが、本当ですかね!?

 

小千谷の百姓の嘘です。

奇兵隊の写真を見れば分かりますが、拳銃や洋傘を持っています。

 

>時山直八の戦死を、共に戦ってきた山県有朋は大変悲しみ、

山麓で時山直八の首級と対面した山縣有朋が号泣して

「俺も進んで戦死する!」と叫び、進軍を部下に諌められた。

 

狡猾な山縣有朋による脚本・演出・主役の芝居といった所ですね。