朝日山の戦い ~奇兵隊参謀 時山直八~
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戦況をみた山県有朋と時山直八は、まず朝日山を奪取することが先決と考え、翌朝、朝日山を攻撃するこにしました。
山県有朋は増援を求めて小千谷本営に戻り、時山直八は横渡村に残り戦備を整えました。
翌日の朝6時。
霧が晴れないうちに攻撃した方がいいと思った時山直八は、山県有朋の援軍を待たずに奇兵隊約200人を連れて朝日山に攻め込みました。
http://blog.livedoor.jp/hokutatu/archives/11230749.html
上記のブログの文章を創造主と共に歩む5次元の存在に尋ねたところ、
山縣有朋が出世競争で追い着かれた感の有る、時山直八を戦死させる謀略だったそうです。
>「敵兵数十人をたおし、分捕り品多数なり!我が軍の大勝利は目前である!なお奮闘して敵兵を一人も生かして返すな!」
史料を引用した歴史の本や小説を読めば分かりますが、「敵兵十数人」と立見鑑三郎は叫んだのです。
「敵兵数十人」なら、薩長は戦闘を継続できずに山腹から退却する筈です。
>退却の際、崖から落ちて亡くなる兵士も多く、中越地震が起きる前までは「官軍が敗走の際、断崖から唐傘を広げて飛び降りた」という場所を示す看板がありました。
唐傘ではなくて、番傘です。
>それが落下傘を世界で初めて用いたとも書かれていましたが、本当ですかね!?
小千谷の百姓の嘘です。
奇兵隊の写真を見れば分かりますが、拳銃や洋傘を持っています。
>時山直八の戦死を、共に戦ってきた山県有朋は大変悲しみ、
「俺も進んで戦死する!」と叫び、進軍を部下に諌められた。
狡猾な山縣有朋による脚本・演出・主役の芝居といった所ですね。