【写真で比較】映画『峠 最後のサムライ』のキャストを実物と比べてみた 更新日:2019年9月28日 公開日:2019年9月28日

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2019.10.24
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【写真で比較】映画『峠 最後のサムライ』のキャストを実物と比べてみた 更新日:2019年9月28日 公開日:2019年9月28日

>その証拠に、継之助は幕府が瓦解し戊辰戦争が開始されるや、江戸にある長岡藩邸の家財を全部売っぱらって、その資金でまだ日本に3台しかなかった最新兵器・ガトリング砲を2台購入します。

>つまり、超最新兵器を、東京とか出し抜いて新潟県がほぼ独占しているという状況…!


ちゃいまんねん!
新發田の内高は約四十万石
長岡の内高は約十四万石
高田の内高は十五万石も無かった(大和田爆笑)
高田の内高は長岡以下だった。

倒産した新人物往来社の河井本に載って居たのは、
幕末日本の3台のガトリング砲
長岡が一台
旧幕府が一台
土佐が一台

第13話 土佐藩のアームストロング砲

土佐史談会は高知県立図書館の三階にある。平尾道雄先生が使用した書籍などが平尾道雄文庫として書棚に並んでいる。
古い雑誌や会誌「土佐史談」を見ていると、平尾先生の直筆のメモなどが出てくることもある。中には平尾先生の名前が書かれた薬袋が出てくることもある。
多くの研究者が収集した史料が室内に並んでいて、歴史の重みを感じる部屋である。全国に会員がおられ、問い合わせの電話も多い。

或る日、史料を読んでいたら、長岡の方から電話があり、「土佐藩にガトリング砲はありませんでしたか?」という質問があった。
内川清輔先生がどうだろうか? 少し調べてみようと話されていた。
しばらくして、土佐藩が明治になって政府に提出した「砲銃弾薬引渡調牒」の写しが存在しているのが分かった。
坂本龍馬が慶応三年九月二十四日、高知へ戻り、小銃千挺を土佐藩重役、渡辺弥久馬、本山只一郎に引渡した話は有名である。その小銃も含まれているはずの「砲銃弾薬引渡調牒」は興味深い史料である。
大砲  三○九挺
小銃  一三一二七挺
砲弾  六○八二一発
が保管倉庫別に記入され、大砲、小銃、弾薬ごとに記入されていた。これらは全て明治政府に引き渡されたのである。我々が見たのはその「写」であった。
しかし、ガトリング砲はなかった。長岡藩の河井継之助戊辰戦争の時に使って有名となったこの砲は二挺輸入され、もう一挺が土佐藩へ渡ったのではないかという問い合わせだった。しかし、ガトリング砲は、記入されていなかった。
この調査の途中で「北ノ口南御蔵」に収蔵されていた八十七挺の大砲中にアームストロング砲二挺が含まれていることに記がついた。
土佐藩にもこの有名な砲が所有されていたのである。