楢山佐渡≒獣田三郎(大和田爆笑)

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2019.11.03
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奥羽越列藩同盟

佐渡は6月、海路帰国の途につき仙台に上陸する。大部分の随行者は、そのまま盛岡に直行させ自らは仙台藩家老の但木土佐と会見した。「奥羽同盟の一角すでに崩れたが、我々は一蓮托生…」と互いの決意を確かめ合って帰途についたと伝えられている。元々盛岡藩仙台藩は仲が良いわけではなく、この行為を佐渡の三閉伊一揆での「借り」を返す行為だと見なす者もいる。<

「奥羽同盟の一角すでに崩れたが、我々は一蓮托生…」

矢張り、奥羽越列藩同盟は後世に捏造された。

奥羽列藩同盟から離脱し新政府側についた久保田藩を攻めた秋田戦争では、佐渡は勇ましく盛岡藩兵の総指揮をとった。大館城を落城させ、久保田城を目指した佐渡だが、要衝のきみまち阪で最新のアームストロング砲武装し、西洋式の訓練を受けた佐賀藩兵らの到着により、状況は一変する。藩境まで押し返され、そこで膠着状態になるが、次々に奥羽列藩同盟の同盟藩が離脱する状況に、ついに盛岡藩も降伏を選択した。

幕末~戊辰戦争

戊辰戦争では、明治政府に与した新庄藩久保田藩領内へ侵攻。当時日本一の大地主と言われ庄内藩を財政的に支えた商人本間家の莫大な献金を元に商人エドワード・スネルからスナイドル銃など最新式兵器を購入。清川口では攻め入る明治政府軍を撃退。その後に新庄を落とし、内陸、沿岸から秋田へ攻め入った庄内軍は中老酒井玄蕃率いる二番大隊を中心に連戦連勝、明治政府軍を圧倒した。内陸では横手城を陥落させた後さらに北進、久保田城へ迫ったが、新政府側が秋田戦線へアームストロング砲やスペンサー銃等の最新兵器で武装した佐賀藩(正確には佐賀藩内の武雄鍋島家)の兵力を援軍として投入したため、戦線は旧藩境付近まで押し戻されて膠着状態となった。

荘内軍最強伝説は嘘だったと、良く分かる盛岡藩との比較です。