>小説【新・雨月】船戸与一 (内容&感想)

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2020.01.01
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小説【新・雨月】船戸与一 (内容&感想)

鬼読
 
官軍の様子を探るため、陣地を張る小千谷
兵士相手の居酒屋の主人となっていた布袋の寅蔵が、
本営に酒を届けにいった時のことだ。
 
長岡藩が開戦せざるをえなくなったきっかけの、小千谷談判で河井継之助を門前払い同様に扱った土佐の軍監、岩村精一郎がいた。
 
前日、朝日山攻略に失敗し同士「時山直八」を失った岩村精一郎が、いつものように割烹から取り寄せた天ぷらをつまみ上げていたところに、山縣狂介(後の山縣有朋)がやってくる。
 
物部春介、奥垣右近、寅蔵らの視点で戊辰戦争を物語る。
鳥羽伏見の戦いを経て、江戸城無血開城、そして東北に戦争の舞台が移ってきた。


スマートフォンで河井継之助-Wikipediaを読める筈ですが、勉強不足の子孫たちだぜ(大和田爆笑)

2018.08.14XML
スマートフォン河井継之助-Wikipediaを読める筈ですが、勉強不足の子孫たちだぜ(大和田爆笑)
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戊辰戦争150年小千谷談判の地​
 
​幕末の戦い 総覧 北越戦争 5月2日、新政府軍の岩村精一郎は恭順工作を仲介した尾張藩の紹介で長岡藩の河井継之助と会談した。河井は新政府が他藩に負わせていた各種支援の受け入れを拒否し​
 
​ 以下,貴世さんのメモより,​
 
以下,貴世さんのメモより,
 
 慶応四年四月二十六日時点で、長岡藩は臨戦体制なのに、 小千谷会談で「少し待ってくれ」はおかしい。
 五月朔日 花輪彦左衛門がそれまで薩摩側とうまく交渉して長岡に 帰ってきた。
 五月二日 (花輪が帰ってきた翌日の)小千谷会談が決裂した
 五月三日 河井は小千谷に一泊し、この日午後、長岡に帰着。
 五月四日 4:00am~ 会津・衝報隊の軍事行動
 五月六日 尾張藩側からの再会談の話を河井はけっている。
 小千谷会談の前(五月二日の)に会津の横槍が入ったとする、司馬 遼太郎氏の小説『峠』の記述は誤り。
 会津藩の動向。
  秋月梯次郎...米沢に派遣 ※『塵壷』で一緒。
  土屋鉄之助...越後に派遣 ※
  梶原平馬.....新潟に派遣
 会津側からみれば、河井(長岡藩)の中立はありえない。
 2400字の嘆願書を河井継之助が書いたというが、西軍側の史料に 小千谷会談時の嘆願書は載っていない(どの史料にも見られない)。 大政官建白書は、西軍史料に載っている。 嘆願書は初めから存在しないのではないか?
 会談が決裂したのに、慈眼寺と西軍本陣の中間地点の場所に 一泊して酒を飲んでいるなどというのはおかしい。 決裂したなら、すぐ長岡に引き上げるはず。
 「自分(河井)の首をはねて、三万両持って西軍本陣へ行け」という 逸話も、三島憶次郎の捏造の可能性がある。 三島は、戊辰戦争後の日記の記述で「東北同盟は正しい」と 書き残している。だいたい河井ともあろうものがそんなレベルの低いことを言うであろうか!
 
 
河井 繼之助の子孫が一人、岩村精一郎の子孫が四人も居て、
誰一人、北越戦争 5月2日、新政府軍の岩村精一郎は恭順工作を仲介した尾張藩の紹介で長岡藩の河井継之助と会談した。 と小千谷の市民劇に突っ込みを入れなかった。
スマートフォン河井継之助-Wikipediaを読める筈ですが、勉強不足の子孫たちだぜ(大和田爆笑)


>長岡藩が開戦せざるをえなくなったきっかけの、小千谷談判で河井継之助を門前払い同様に扱った土佐の軍監、岩村精一郎がいた。

>五月六日 尾張藩側からの再会談の話を河井はけっている。

長岡の史料です。

>5月2日、新政府軍の岩村精一郎は恭順工作を仲介した尾張藩の紹介で長岡藩の河井継之助と会談した。河井は新政府が他藩に負わせていた各種支援の受け入れを拒否し

他人のサイトに載って居たものを我が、
河井継之助Wikipediaや我のブログ記事で拡散しました。
尾張藩の史料に在るのでしょう。

船戸与一は勉強不足ですね。

>前日、朝日山攻略に失敗し同士「時山直八」を失った岩村精一郎が、いつものように割烹から取り寄せた天ぷらをつまみ上げていたところに、山縣狂介(後の山縣有朋)がやってくる。

船戸与一は我と同意見ですね。
河井 繼之助が本当に東忠を利用したのならば、
岩村精一郎も東忠を利用して居る筈です。
司馬遼太郎『峠』が毎日新聞に連載されて、
東忠の経営者が「小千谷談判の後に河井 繼之助が東忠で昼食を取った」と嘘を吐いて宣伝した。
東忠の経営者がバカなのは、
岩村精一郎と河井 繼之助が東忠を利用した」と嘘を吐いて宣伝しなかった事で、明白です。

長岡と違い、小千谷は火の海にされなかったので、
河井 繼之助の人気が高かったのでしょう。