ハイマンナンと同じく、パーデンネン(大和田爆笑)

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2020.01.12
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細谷十太夫〜三十余戦負け知らず!からす組の大将のこと

>仙台に帰ってきた十太夫は、北海道開拓庁の吏員となり、日高国沙流郡に渡るが、西南戦争がはじまると、川治利路が指揮する別動第三旅団に陸軍少尉として参戦している。<
 
仙台藩士も約700人が警視庁巡査兵として出征した。十太夫水俣方面で奮戦して負傷しているが、<
 
>十太夫の墓の横にある白木には、「負け知らずで有名な伊達藩隠密鴉組の大将 細谷十太夫の墓」と書いてあった。境内の案内板によれば、30戦無敗の負け知らずの十太夫の墓には受験生や選挙の立候補者の参拝が絶えないという。<
 
細谷十太夫の嘘を我が見破って、差し上げます。
西南戦争立見尚文は、陸軍少佐でした。
明治政府の細谷十太夫に対する評価は、陸軍少尉に過ぎない。
三十余戦負け知らずは、細谷十太夫の法螺話なのです。
戊辰戦争で三十余戦負け知らずが、西南戦争で負傷する筈が無いのです。
新政府軍にも、猟師や博徒の部隊が在りましたが、
三十余戦負け知らずでは、有りませんでした。
細谷十太夫の衝撃隊だけが、三十余戦負け知らずなんて、有り得ません。

2015.11.05XML
新潟日報に連載の河井継之助『龍が哭く』​
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秋山香乃のオバちゃん、河井 繼之助と細谷十太夫が昵懇に書いて居ますが、
我自身に尋ねたところ、
細谷十太夫の衝撃隊が三十数度の夜襲に勝利したは、作り話だそうです。
西軍には少なからずの人数の侠客や博徒の部隊が、存在しました。
細谷十太夫の衝撃隊だけが、三十数度の夜襲に勝利する筈が無いのです。
西南戦争では立見鑑三郎は陸軍少佐
日清戦争では細谷十太夫は陸軍少尉
 
これが陸軍の細谷十太夫の評価なのです。
秋山香乃のオバちゃん、目を覚まして下さいね(大和田爆笑)
当たり前の事ですが、河井 繼之助と細谷十太夫に面識は無かったそうです。
 
蒼龍窟とは、禅の教え「碧巌録」に ある『為君幾下蒼龍窟』(君が為に幾たびか下る蒼龍の窟)に由来します。
天に昇る様な二本の松が由来だとする説は、教養の無い人が言い出したそうです。
 
松は大砲奉行と呼ばれた川村修就(谷村有美爆笑)
1990年代に新潟県民会館で行われた谷村有美コンサートで、
コンサート前夜にNEXT21で買い物をした谷村有美は、
「NEXT21で上演して居た芝居『大砲奉行』の看板やポスターを見た」と、
コンサートのMCで言った。
「たいほうぶぎょう」と舐めた感じで言った。
 
黙れ!薩摩おごじょ(大和田爆笑)
 
 
2016.01.11XML
今朝の新潟日報に連載の河井継之助『龍が哭く 』
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秋山香乃のオバちゃん、細谷十太夫の法螺話を未だ見破れません(大和田爆笑)
 
衝撃隊の猟師や博徒が夜目が効く。
 
秋山香乃のオバちゃん、西軍の方が人数が多いし、
 
西軍にも、猟師や博徒が従軍して居ますよ。
 
衝撃隊の猟師や博徒だけが、夜目が効くなんて有り得ません。
 
會津の法螺吹き男の山川大蔵が、
 
「日光口で猟師隊が活躍した」と法螺を吹いても、
 
鶴ヶ城に入城してからは、全く活躍して居ないし、
 
會津の本領の猟師隊は全く活躍して居ない。
 
火縄銃や所謂『ゲベール銃』で猟師が撃っても、
 
西軍兵にエンフィールド銃やスナイドル銃で撃ち返されて、壊滅するだけです。
 
仙臺でスナイドル銃で武装して居たのは、額兵隊だけです。
 
細谷十太夫の衝撃隊(鴉組)と棚倉十六ささげは、東北人の法螺話
 
 
東北人は嘘吐きなのです。
 
秋に採れる松茸を売れば、百文以上に売れます。