米沢藩散兵隊の謎(大和田爆笑)

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2020.02.20
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米沢藩散兵隊の謎

2006年04月22日 23時01分11秒 | 戊辰戦争・幕末維新史
 先日都立図書館にてコピーした「米沢藩 慶応元年分限帳」ですが、あれから手持ちの米沢藩の史料と、この「慶応元年分限帳」と読み比べて、戊辰戦争に参加した米沢軍士官全体の7~8割の身分・年齢・禄高が判ってきたのですが、一方でこの「慶応元年分限帳」を読んでも詳細が一向に判らないのが、米沢軍の最強部隊である米沢藩散兵隊です。
 この散兵隊、弱兵と呼ばれた米沢軍の中にあって、全兵がスペンサー銃を装備する精鋭部隊で、あの河井継之助からも「散兵隊を援軍に借して欲しい」と言わせた程の、恐らく米沢軍の中で(越後戦線の)新政府軍主力の薩摩軍・長州軍・松代軍と唯一まともに戦えた部隊だと思えます。
 そんな米沢藩戊辰戦争を語るのに中心となるべき散兵隊なのですが、その散兵隊を率いた4人の小隊長の名が「慶応元年分限帳」で見つからないんですよね。米沢藩に興味の無い方には幾ら精鋭部隊と言っても、ただの小隊長の身分・年齢・禄高に拘る気持ちが理解出来ないかもしれませんが、小隊長の身分(どの組に所属か」)が判れば米沢藩の最精鋭部隊の小隊長が単に身分から選ばれたのか、それとも身分に関係なく能力で抜擢されたのかが知りたいと思っている訳です。幾ら全兵がスペンサー銃を持っていたとしても、小隊長が身分で選ばれたのなら、それは単に全兵がスペンサー銃を装備している小隊に過ぎないので、散兵隊の実力を計るのに重要な要素だと思っている訳です。
 そんな訳で「慶応元年分限帳」を読んで散兵隊隊長の名を探しているのですが、一人も見つからないんですよね。まあ戊辰戦争が起きたのは慶応4年ですから、慶応元年の時は家督を継いでなくてもおかしくはないですが、4人も揃って家督を継いでないと言うのは有り得ないと思うんですよ。
 まあ「慶応元年分限帳」を探したと言っても、真剣に探したのは侍組・三手組(馬廻・五十騎・与板)・三扶持方(猪苗代・組外・組付)の上級~中級家臣だけで、扶持方並・足軽の下級家臣の項はあまり真剣には探していないので、下級家臣からの登用かもしれないのですが、他に下級家臣からの登用は見られないので真剣には探していなかったんですよね。
 そんな訳で「慶応元年分限帳」をコピーして3週間余が経ったのに、未だ散兵隊隊長の名が見つからない次第です。う~んこうなったら確立は低いけど、下級家臣の項を読み返さないと駄目かな。


>この散兵隊、弱兵と呼ばれた米沢軍の中にあって、全兵がスペンサー銃を装備する精鋭部隊で、あの河井継之助からも「散兵隊を援軍に借して欲しい」と言わせた程の、恐らく米沢軍の中で(越後戦線の)新政府軍主力の薩摩軍・長州軍・松代軍と唯一まともに戦えた部隊だと思えます。<


シャープス銃(軍用カービン)を購入して、スペンサー騎兵銃を購入しなかった河井 繼之助は大天才 

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シャープス騎兵銃
資料解説 シャープス銃は、アメリカシャープス・ライフル社で開発された元込め式のライフル銃。
幕末期に輸入され、明治10年(1877)の西南戦争では薩摩軍、政府軍で使用された。
【資料番号 武92-3】

スペンサー騎兵銃
資料解説 スペンサー銃は、アメリカのクリスチャン・スペンサーによって開発された世界最初の元込め連発銃。
日本では佐賀藩慶應年間(1865~67)に輸入したのが最初で、戊辰戦争では最新鋭銃として使われた。
【資料番号 武92-27】