アケビで連想 足らず村=下田村(大和田爆笑)

つる細工講座 <朝日マタタビクラブ>を追加しました。 英語ページ https://akikanke.com/english/about-the-art/tsuru-zaiku-vine-crafting-class-asahi-matatabi-club/ 日本語ページ https://akikanke.com/web-gallery/tradition-culture-tadami/tsuruzaiku-002/ 前回の河井継之助イラスト同様、補足&削除部分などで日本語と英語ページの内容と若干(以上)異なります。

高校一年生の時にクラスメイトの下田村森町の子が、
「秋にはアケビを採って食べて居る」と言って居た。
下田村鹿峠の子で、野生のアケビを採って来て食べて、
種を庭に捨てたら成長して、二十歳を過ぎても庭のアケビを食べて居る。
其の子の伯母さんから、聞きました。
我は山の近くでは無いので、アケビを食べた事は無いです。
平成の大合併で、下田村は三条市に吸収合併(大和田爆笑)
新潟県境の森町も福島県境に近い只見町も、アケビを食べる食文化は共通ですね。

諸橋 轍次 下田村不世出の英雄(大和田爆笑)
諸橋 轍次の生家は「諸橋 轍次は直江 兼續の子孫」と言い張って居ます。
其れなら当家も、直江 兼續の子孫と言う事に成ります。
諸橋 轍次の生家は與板藩の飛び地の大庄
当家は與板藩の飛び地の庄屋
諸橋 轍次の生家と当家は距離がかなり離れて居ます。
直江 兼續に子は居ないので、諸橋 轍次の生家は嘘吐きだと思うでしょ?
我に尋ねたところ、
直江 兼續が與板の諏訪大社の分社の宮司の娘に産ませた長男が当家の初代
直江 兼續が與板の諏訪大社の分社の宮司の娘に産ませた次男が諸橋 轍次の生家の初代
と言って居ます。
NHK大河ドラマ天地人』が放送された年の二月ごろにYahoo!掲示板 日本史で、
我が「諸橋 轍次は直江 兼續の子孫と言うのは、本当ですか?」と投稿したら、
諸橋 轍次の子孫で東京在住の女子大生と言うユーザーが、
「はい、諸橋 轍次 博士は直江 兼續の子孫です」と返信してくれた。

諸橋

2012.12.20
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戊辰北越戦争で負けた地域の庄屋の子孫ですが、
元禄の時に長岡・牧野家の分家の與板の殿様から、
新田開発に成功した褒美に当家の諏訪大社の分社で祭る為の神田を賜り、
神田からは、年貢を免除されました。
後に領主が変わっても神田からは、年貢を免除されました。
戊辰北越戦争後に薩長が「賊軍の牧野氏から貰った田圃」と言い掛かりを付けられて、
神田を没収されました。
そのせいで諏訪大社の分社を維持できなくなり、手放す羽目に成りました。
当家の古文書には、「牧野氏」と書いて有るだけなので、
初代の血が絶えて、養子の子孫では事実を知らずに薩長に反論できなかったのでしょう。
長岡・牧野家の分家の與板の殿様は、直ぐに国替えで、
小諸の殿様に成っているので、
「賊軍の牧野氏から貰った田圃」は、事実無根なのです。
前原一誠は無知な馬鹿だったのです。