現代の『會津 北越 酒屋会議』=『にいがた酒の陣』のパクリ(大和田爆笑)

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2020.03.14
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2016年3月12日(一ノ瀬要人隆智) 2019-06-05 14:23:57 | 日記

その時の運転手は彼の物語と現在のご子孫(会津市の酒造博物館:家老邸宅跡)をよく知っていた。「私は400年ほど前に信濃に残った分家(かなり末枝)の末裔です。

これも何かの縁だ。
現代の『會津 北越 酒屋会議』を開催するのだ。

会津藩 酒屋会議

昭和12年日中戦争が始まると食糧事情も厳しくなり、酒造原料米も制限され、生産される酒の量も年々減っていきました。

酒が少なくなるに従って水で薄めた「金魚酒」が出回るようになり、これを取り締まるために政府は、昭和15年にアルコール濃度による酒の規格を制定し、15年から18年にかけて特・一級等の級別制度を作り、さらに昭和18年には戦争の激化に伴い、酒も配給制として生産から消費まで統制するようになりました。

金魚酒;金魚でも泳げるような薄い酒という悪称。

戦後、酒の配給制度は廃止されましたが、特・一二級の審査による級別制度は残されました。
昭和20年には、全国の清酒生産量は82万石、22年には50万石にまで落ち込みました。そのために酒が足りなくなり、密造酒が横行しました。
この時期の酒不足を補う対策として、24年に三倍増醸酒が開発されたのでした。
これは戦時中の合成清酒の研究の成果が生かされたもので、アルコール添加によるエキスの不足分を糖・有機酸・アミノ酸を加えることで補い、酒の量を3倍にする方法です。<

戦前の堅気で安全な日本酒を會津 北越の酒蔵が復刻させるのだ。

現代の『會津 北越 酒屋会議』=にいがた酒の陣のパクリ(大和田爆笑)