会津若松市と長岡市の仲が今一つな訳

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2020.04.20
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山本帯刀隊を會津軍が見殺しにしたから。
山本帯刀は糞真面目なので、
會津軍との共同作戦を遂行しようとした。
會津軍と西軍が交戦したら、
西軍の背後から、山本帯刀隊が斬り込む作戦だった。
当日は濃霧が発生して、山本帯刀に部下の何名が、
共同作戦の中止を進言した。
會津若松から逃げた殿さんの命令が、「會津軍と共闘せよ」
律儀な山本帯刀は殿さんの命令を守り、
濃霧の中で山本帯刀隊は、小銃で武装した宇都宮軍に取り囲まれて、捕縛された。
桐野利秋の命令で、山本帯刀と下男を除く山本帯刀隊士たちが、斬首された。
捕縛されたにも拘わらず、降参を認めない山本帯刀は、
翌朝に下男と共に斬首された。
山本帯刀隊で生き残ったのは、拠点兵のみであった。

我に尋ねたところ、
長岡には昔も今も、
山本帯刀を敬愛する人が居るそうです。
其れも、山本帯刀を敬愛するが、山本五十六を嫌って居る人だそうです。
殿さんが、「長岡軍は小銃と弾薬を會津軍に与えて、仙臺に居る余のへ馳せ参じよ」と命令して居れば、
山本帯刀は禁固二年で済んで居たのです。
名門の山本家の籍に高野五十六が入る事は、無かった筈である。