県立博物館の学芸員は、若き日の我よりも、書籍を読んで居ないのですね。

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2020.08.08
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今年は戊辰戦争150年、地元新聞はキャンペーン。西郷頼母の新事実。白河口の攻防は会津藩の命運をかけた戦いでした。敗戦は戦争体験のない頼母総督の作戦が悪かったという指摘がなされてきた。
 
ところが、晩年、藩士渋谷源蔵が真相を聞いたら、頼母は敵の後ろに回って前後挟み撃ちにすれば勝てると主張したが、反対されてできなかったと証言した。この資料が県立博物館から公開された。会津藩は旧式鉄砲・大砲で、薩摩の伊地知正治率いる最新の鉄砲隊の前に敗れた。会津藩も新式鉄砲を手配していたが、新政府に没収されたという不運もある。敗戦は頼母せいではなかった。ともあれ、歴史の真実が判明し、頼母の汚名返上になったことは確かである
 
松平容保徳川慶喜と大阪から江戸に退却し、残された会津兵たちは神保修理が悪いと指摘して、神保は切腹させられた。
一方、鶴ヶ城の籠城で指揮官が酒を飲みすぎて寝坊し、大敗北したのに責任は問われない。西南の役で活躍して英雄になった。
 
会津藩は主戦派の意向が強く、責任を非戦派に押し付ける傾向があったのではないでしょうか 。


>ところが、晩年、藩士渋谷源蔵が真相を聞いたら、頼母は敵の後ろに回って前後挟み撃ちにすれば勝てると主張したが、反対されてできなかったと証言した。この資料が県立博物館から公開された。会津藩は旧式鉄砲・大砲で、薩摩の伊地知正治率いる最新の鉄砲隊の前に敗れた。会津藩も新式鉄砲を手配していたが、新政府に没収されたという不運もある。敗戦は頼母せいではなかった。ともあれ、歴史の真実が判明し、頼母の汚名返上になったことは確かである<

西郷頼母の嘘です。
旧幕府軍が作戦を立案したが、西郷頼母に却下された。 と史料に在る。
我が二十代の頃、三十年以上も前に幕末、戊辰戦争の書籍を沢山購入して読みました。
西郷頼母が無能で動かず、副総督の横山主税が騎馬の何騎かで敵軍の後方から小銃を撃ち掛けましたが、
敵軍に反撃されて被弾して戦死した。
我に尋ねたところ、
横山主税は十五騎で戦ったそうです。
木曽馬みたいな日本の馬は、山道に強かった。

県立博物館の学芸員は、若き日の我よりも、書籍を読んで居ないのですね。