蝸牛様 怨霊、農作物食い荒らす 新発田藩ちょっと怖~い話 その参

2020.08.16
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蝸牛様 怨霊、農作物食い荒らす
新発田藩ちょっと怖~い話 その参
 「たたりじゃー」の怨霊信仰は、日本の歴史を考える上で欠かせない。災害や事故などを、恨みを持ったまま死んだ者のたたりだとし、丁寧に弔って安寧(あんねい)を祈る信仰だ。平将門菅原道真崇徳上皇などは、その典型とされている。
 
 天神様で知られる菅原道真は、藤原氏の陰謀により太宰府に左遷され、その地で亡くなったが、死後宮中が落雷で火災になったほか、天皇家藤原氏に不幸が続いた。人々は「道真のたたり」と恐れ、天満宮を建立して道真の霊を慰めたとされる。
 
 前回の新発田藩「与茂七火事」と似ている。怨霊話は支藩・沢海藩にもあった。沢海藩は現在の新潟市江南区横越地区が中心。横越の話だが、新発田藩の分家ということでご容赦願いたい。
 
 沢海藩は、新発田初代藩主・溝口秀勝の次男・喜勝が1610(慶長15)年に1万4千石で立藩した。が、4代藩主・政親の代にお家騒動が起こる。
 
 3代藩主の子が早世したため、藩主の妻の実家、近江・水口藩加藤家から養子をとった。これが政親で、近江から家臣団も連れて来た。その1人、佐川左内が今回の主人公。左内は政親のおそばに仕え、従来からの家臣団と確執が生じる。政親は、左内の言うことばかり聞いていたようだ。
 
 おまけにこの殿さま、酒癖が悪く、城を増改築し藩の財政を悪くさせ、農民には税を重くするなど、悪政の限りを尽くしたという。
 
 ある資料には「左内が政親を酒色の道に誘った」とあり、悪政の原因は左内にあったとする。従来の家臣団は忠告するが、聞く耳を持たず、左内の言うことばかり聞く殿さまにも原因はあるだろう。
 
 しかし、家臣団は奸臣(かんしん)・左内を除かないと藩はつぶれてしまうと、1687(貞享4)年、左内を生き埋めの刑に処した。
 
 左内は「わが亡魂は、幾千万のカタツムリ(蝸牛)となって、領内の作物を食い尽くし、末代までたたってやる」と、恨み言を残し亡くなった。
 
 すると藩内には翌年から、毎年のように無数のカタツムリが現れ、田畑の作物を食い荒らし農民を困らせた。農民たちは左内の怨霊だと恐れ、小さな祠(ほこら)を建てて「蝸牛様」として祭ると、カタツムリは現れなくなったという。
 
 典型的な怨霊話だ。しかし、与茂七と違う点は「左内はいたと思うが、家人団の名簿などの史料に、その名は載っていない」と、北方文化博物館の神田勝郎館長(83)が指摘するように、怨霊になった人物が実存していたか明確でないのだ。
 
 左内が登場するのは、沢海藩お取りつぶし後に書かれた「沢海物語」などの史話。「読まれるように面白おかしく書かれている点もある」と神田館長。確かに死ぬ間際に「カタツムリになる」と言うだろうか。イナゴの方がもっと被害を与えると思うが、左内は自分が悪いことをしたと自責の念もあり、イナゴではなくカタツムリになったのだろうか。想像は尽きない。
 
 沢海藩は77年で幕を閉じ、藩士たちは扶持(ふち)を失い、農民や商人になるなど苦労したようだ。一方、政親は近江に帰り、兄の水口藩主から年500俵をもらい、悠々と余生を過ごした。怖い話というより、沢海藩士にとっては悲哀な話だ。
 
 【参考文献】「新発田市史」、「横越町史」、「横越のむかし語り」(横越町)