鹽澤村の人々は、河井 繼之助の祟りを恐れて祠を作った。

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2020.08.16
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倒産した新人物往来社の河井本に拠ると、
鹽澤村の焼き場で河井 繼之助の焼骨を拾って居た松蔵は、
「西軍が迫って来た」の流言飛語に動揺して、
河井 繼之助の焼骨の細かい骨を拾わずに會津若松に逃げた。
河井 繼之助の焼骨の細かい骨を拾った鹽澤村の人々は、
祠を作って、河井 繼之助の焼骨の細かい骨を入れた。

只見町の奴らが主張する「長岡兵、其の家族、百姓、町人ら、長岡からの避難民に只見地方の百姓たちが、種籾を食わせた」美談
以前に我がブログ記事に書いたが、三島億二郎も小林虎三郎も、
只見地方を訪れず、御礼の品の贈呈どころか、感謝の言葉も発して居ない。
「長岡兵、其の家族、百姓、町人ら、長岡からの避難民に只見地方の百姓たちが、種籾を食わせた」美談は、長岡側には史料は無い。
我に尋ねたところ、
河井 繼之助と今井 孫兵衛が會津領の寺と旅籠屋に金を与えて、
米、鹽、味噌、醤油、干し魚を備蓄させて、長岡領からの戦争避難民に食わせる計画だった。
大雨による洪水で只見地方は孤立してしまい、
代官が寺と旅籠屋から米、鹽、味噌、醤油、干し魚を奪い、
部下と百姓に食わせた。
河井 繼之助が只見地方に来た事を知った代官は、
米、鹽、味噌、醤油、干し魚の備蓄を奪い、横領した罪を河井 繼之助に追及される事を恐れて、
切腹した。

鹽澤村の人々は、河井 繼之助の祟りを恐れて祠を作った。