<小城の風>秋田に埋葬された小城藩兵 戊辰戦争で新政府側支援 佐賀新聞2020年08月19日06時30分
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慶応4(1868)年8月8日、小城藩兵約700人が新政府側について孤立した秋田藩を救援するために出発した。戊辰戦争では、東北地方の大名が旧江戸幕府側の立場をとった中で、秋田藩は新政府側についたため、南の山形側から庄内藩、東の岩手側から南部藩の攻撃を受けた。
小城藩兵は、11日伊万里から乗船。22日秋田の男鹿半島に上陸した。24日秋田城下で、佐賀藩兵とともに岩手方面への進軍の命令を受け、現在の能代市、大館市付近で南部藩勢と戦った。9月21日南部藩と和議が成立し戦闘は終了した。小城藩兵は、盛岡、仙台を経由し、東京に移動し翌年1月5日小城に帰る。
2日の戦闘では、小城藩士香田市助、上無津呂村軍夫儀平、大日小路軍夫弥平が戦死し、清徳寺に葬られた。能代市二ツ井町にある清徳寺には戊辰戦争時、戦死した佐賀・小城藩兵の墓碑8基が祭られており、毎年、慰霊祭が行われている。寺の入口には「戊辰役肥州八勇士之墓有り」いう標柱が建っている。