と言う事は、月亭八光(はちみつが『アホちゃいまんねん、パーでんねん』を生み出した説は嘘だった。
2/18(木) 15:01配信
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週刊女性PRIME
ラサール石井。「番組に出ていなかったら芸能界にはもういないかも」と苦笑い
1980年代は“楽しくなければテレビじゃない”というキャッチフレーズでフジテレビが絶好調だった。中でも『オレたちひょうきん族』(以下、ひょうきん族)は1981年にスタートした今も語り継がれる伝説のバラエティー番組。コント赤信号のメンバーとして出演していたラサール石井。
【写真】たけしやさんまが大暴れした『オレたちひょうきん族』
「『ひょうきん族』は漫才系の出演者が多くて、コント主体の僕らははじめ縁がなかったんですよ。大人気だった『THE MANZAI』や昼番組の『笑ってる場合ですよ!』の流れで出演者が決まっていった番組だったんです。出たくても出られなかったから憧れがありました。
でも、事務所の石井光三社長が”キミたちを最初に使ってくれたのは日テレ。恩があるさかい、日テレの番組に出てくれ”と言うんです。それが真裏の『ダントツ笑撃隊!!』。わずか10回で終わりになりました(笑)」
その後、石井社長が『ひょうきん族』のプロデューサーに直談判。念願叶い、ゲスト枠での出演が実現した。『ザ・ベストテン』(TBS系)をパロディーにした“ひょうきんベストテン”というコーナーに出演し、シャネルズ(後のラッツ&スター)のモノマネを披露。
「彼らは黒塗りだったから、僕らは白塗りで(笑)。赤信号の3人に社長も加わった4人で、プールサイドで歌う本物のシャネルズを脅かすっていう企画でした。われわれが出ていってちょっかいを出すとプールの片側がどんどんせり上がって斜めになり、耐えきれなくなってみんな落ちる、っていう(笑)。それが全部セットなんです。
番組制作にものすごいお金をかけることができた時代。年間の予算が当初は1億円だったそうなんですが、最終的に2億円使ったそう。でも視聴率が絶好調だったので局も怒るに怒れず、翌年は使った以上の予算がついたと聞きました」
赤信号のモノマネは好評で、また出演のオファーが。
「今度はシブがき隊の役でした。それがウケて、“ひょうきんベストテン”でシブがき隊をやるときは必ず呼んでくれるようになったんですよ。そして、とうとうレギュラーに。オープニングに顔が出て、名前も載るんです。ヒップアップの島崎俊郎さんたちと並んで紹介されるのが本当にうれしかった」
ギャラがびっくりするほど安い
『ひょうきん族』に出演していたのはビートたけし、明石家さんま、島田紳助、片岡鶴太郎、山田邦子といった、勢いのある若手のお笑い芸人たち。赤信号もその仲間入りをしたことになる。ただ、1つだけ大きな問題が……。
「ギャラがびっくりするほど安くて。僕らは3人で2万3000円。しかも事務所の取り分もあるから、1人分はその4分の1(笑)。だいぶたってからディレクターに言われたんです。“キミらずっとこんな安くやってたんだな、びっくりした。上げといたからね”って。期待するじゃないですか。でも確認したら4万6000円。えーっ、倍にしただけかよって(笑)。でも僕らだけじゃなく、さんまさんやたけしさんもそこまで高くなかったと聞きました」
ギャラが安い上に、拘束時間が異常に長かった。
「毎週水曜日に2つのスタジオを使って、朝8時から夜中の2時くらいまでずっと拘束されていました。撮影時間だけでも10時間くらいになったと思いますよ。それを1時間に縮めるんだから面白くないはずがないですよね。朝スタジオ入りしてヒップアップやウガンダさんと同じリハ室で出番まで待機。長くて大変だったけど、楽しい時間でした」
お笑いスキルが鍛えられた
一流の芸人が集まっていたから、お笑いのスキルが鍛えられた。楽屋でもトークを競いあっていたという。
「さんまさんの楽屋は個室だったんですが、ひとりでいて我慢できる人じゃないですから(笑)、いつも西川のりおさんたちの楽屋に遊びに行ってたんですね。そこに僕らも入っていってトークをしまくるんです。さんまさんたちを笑わせようとして自然に話力がアップしていきました。
楽屋の何気ない雑談から、人気キャラクターが生まれることも。
「さんまさんの『パーデンネン』や、島崎俊郎さんの『アダモステ』などは、楽屋でなんとなく話していたところから話が膨らんで。翌週にはキャラクターとコントの台本が出来上がっているんです。スピード感のある現場でしたね」
リハーサルを重ねて本番を迎えると、今度はアドリブ合戦が始まる。
「何回もリハーサルをやっていると、スタッフが慣れて笑わなくなっていくんですね。だからリハーサルでも本番でもぜんぜん違う動きをしたり、セリフを話したりするんです。照明やセットも無視して好き放題やっちゃうのを全部撮る。それまでの撮影の常識をどんどん壊していったんですよ。スタッフが撮影中に笑ったのをそのまま放送するスタイルは『ひょうきん族』が初めてだったと思います。
番組内でディレクターさんやカメラマンさんに平気で話しかけるのも、今ではいろいろなバラエティー番組で使われていますが、当時は新しかった。どんどんタブーを打ち破っていって、それが世間にはカッコよく見られていたんです」
「意識する暇がありませんでしたね。その時間は『ひょうきん族』のオンエアを見ていました。どこがカットされたか確かめるんです。出演したコーナーがごっそりなくなっていたこともありましたから(笑)」
『全員集合』は1985年に終了。『ひょうきん族』の勢いに押される形で幕を閉じた。
「テレビの常識をみんなで壊していった番組でしたね。そういうところが知的に見えて、ユーミンやYMO、サザンオールスターズといったアーティストも出演してくれました。新しいお笑いが生まれる場所になら出たい、って思ってくれていたそうなんです」
『ひょうきん族』が最先端を走っていたあの頃。日本が輝いていた時代だった。
>「さんまさんの『パーデンネン』や、島崎俊郎さんの『アダモステ』などは、楽屋でなんとなく話していたところから話が膨らんで。翌週にはキャラクターとコントの台本が出来上がっているんです。スピード感のある現場でしたね」<
>「さんまさんの『パーデンネン』や、島崎俊郎さんの『アダモステ』などは、楽屋でなんとなく話していたところから話が膨らんで。翌週にはキャラクターとコントの台本が出来上がっているんです。スピード感のある現場でしたね」<
アサ芸プラス2017年9月12日 09:59 0
還暦を過ぎてもなお、好感度アンケートで常に上位をキープしている明石家さんま。芸人としても男としても、現役感を失わないのが、魅力の一つだろう。しかし、笑いに厳しいはずのさんまにパクリ疑惑があるのをご存知か。エンタメ系雑誌の記者に話を聞いた。
「ホントですよ。厳密に言うと、ギャグを買った、が正しいんですが‥‥。その相手というのは、月亭八光(はちみつ)。上方落語界の重鎮・月亭八方の愛息子で、地元・関西では知らぬ者がいない関西のカリスマです。さんまさんは、八光が産まれた時から面倒を見ていました。彼が小学2年生になった時、いつもどおり劇場の楽屋で遊んでいて、『お前はアホか!』とさんまさんが言うと、『アホちゃいまんねん、パーでんねん』と切り返された。このフレーズを気に入って、5000円で購入(笑)。『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)のコント・タケちゃんマンで、ビートたけし演じるタケちゃんマンのライバルキャラ・パーデンネンの名台詞として、定着させたのです」
八光にとって、手の届かない存在になったさんまにギャグを売ったのは大きな誇り。本人は5000円を受け取っていないと言い、さんまは「お父さんに渡してるで」と言う。意見は平行線だが、どうやら八方がくすねたようだ。
「八方はこの道およそ50年の大ベテラン。そんな“親の七光を越えてほしい”という願いを込めて、八光の高座名が与えられました。幼少期から、“八方の息子”としてテレビに出演しまくり、関西ではナニワの接待王、太鼓持ち芸人、ロケの達人というイメージが強いです。妻は元モデル。2人の子どもに恵まれ、一軒家を購入済み。成功者ですよ」(前出・エンタメ系雑誌記者)
5000円を手に入れられなくても痛くも痒くもないのだろう。
(北村ともこ)