立見鑑三郎は局地戦でしか勝てないくせに後退を友軍の敗戦のせいにする卑怯者だ。 桑名城を攻撃して恭順派を下して、松平定敬を迎え入れて籠城して戦い抜くのが真の" 東洋一の用兵家 "でしょう。

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2021.05.19
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返信先: 
@kbc_dekki
さん
そして立見鑑三郎ら桑名藩士は柏崎は鯨波で戦い、河井継之助とともに長岡藩境朝日山を死守するも…
「峠」も映画公開されますし、桑名藩松平定敬のことも、ぜひ知っていただきたいのです。
 
#拡散ありがとうございます
午後8:23 · 2021年5月18日·Twitter for iPhone
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https://www.youtube.com/watch?v=vxdzhXV8QXM&lc=UgzheunbgeT1686DAB14AaABAg
注目のコメント
半和
8 か月前
佐幕派最強は桑名藩立見尚文率いる『雷神隊』でしょ!
立見尚文佐幕派出身だったのに近衛師団参謀長や第8師団長を勤めて大将になってる
ちょーーーー優秀な人!
 
3
 
 
諸橋嘉久
諸橋嘉久
8 か月前
立見鑑三郎は局地戦でしか勝てないくせに後退を友軍の敗戦のせいにする卑怯者だ。
 
桑名城を攻撃して恭順派を下して、松平定敬を迎え入れて籠城して戦い抜くのが真の" 東洋一の用兵家 "でしょう。
 
奇兵隊は逃げ足が早かった。
奇兵隊の東軍版が雷神隊(大和田爆笑)
新潟港の守備に桑名軍が少人数ですが、就いて居ました。
新潟港が陥落しましたが、確か桑名兵は一人も戦死者が出ませんでした。
逃げ足が早いですね(大和田爆笑)
新潟港總督の色部長門は逃げ遅れて敵兵にピストルを撃ち、弾薬が尽きると斬り込んで死中に活を求めましたが、
敵兵の銃弾に斃れました。
部下が首を斬り落として、首を持って逃げ切れないので、茄子畑に埋めました。
翌年に首を掘り起こして、米澤に首を持ち帰りました。
 
日露戦争では陸軍中将として第8師団を率い出征する。黒溝台会戦では、ロシア軍の冬季大規模攻撃を受けた日本軍左翼の重要拠点である黒溝台を救援に向かう。数倍のロシア軍との戦闘は激烈を極め、日本側も増援する中、立見は師団兵力の半数を失いながらも黒溝台を回復し、会戦はロシア軍の退却で終結した。
しかし、昔にヤフー掲示板で軍事に詳しい人に拠ると、
黒溝台の救援に向かったのは、失策だったそうです。
師団兵力の半数を失って迄、遣る価値が無く、
黒溝台をロシア軍が奪取しても、大軍のロシア軍の兵站が続かず、
ロシア軍は撤退する。 と言う論
 
 
 
大好きプラモ
大好きプラモ
2 か月前
 @諸橋嘉久  
アホか
 
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akakkkkkk
akakkkkkk
1 か月前
佐幕派で初めて大将になった人。とても優秀な方ですよね。
佐幕派で優秀な人物というと柴五郎大将なんかも思い浮かびます。
 
1
 
 
諸橋嘉久
諸橋嘉久
5 分前
 @大好きプラモ  
立見は師団兵力の半数を失ったので、人海戦術の能無し軍人
パーか(明石家さんま爆笑)