桜飯 - Wikipedia に我が反論と言うか新説

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2021.06.15
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E9%A3%AF
桜飯(さくらめし)は、醤油味で具のない炊き込みご飯。研いだ米に醤油、塩、酒、味醂、出汁などを加え炊き上げたもの。
 
概要
いわゆる醤油飯、関東地方で言うところの茶飯(ちゃめし)、黄枯(きがら)茶飯の異称である。 東京では主におでんと共に食べられる[1]。遠州地方(浜松市周辺)ではさくらごはん、おさくらと呼ばれ、合格祈願の縁起物として受験日の昼食に炊いて持っていくことがある。また学校給食に出され人気のメニューとなっている。
 
醤油飯以外の桜飯
塩漬けの桜の花を散らしたご飯のことも「桜飯」と呼ぶ。
蛸を入れた炊き込みご飯を「桜飯」と呼ぶこともある。蛸の色でご飯が桜色に染まるからとも、薄く輪切りにした蛸の足を桜の花に見立てたものとも言われる。
新潟県の一部では、大根の味噌漬をみじん切りにして混ぜ込んだご飯を「桜飯」と呼ぶ[2]。
梅干しや赤紫蘇、桜漬け大根、桜でんぶなどでピンクに着色したご飯のことを「桜飯」と呼ぶ例も散見される。
出典
^ https://kotobank.jp/word/おでん茶飯-1283612
^ 河井継之助山本五十六の愛した桜飯 - 柳醸造

桜飯とは要するに、小豆や糯米を買えない貧乏人は赤飯を炊けないので、
醤油飯の櫻飯を作ったのだ。

長岡の牧野家の家臣が「東三河に牧野家が居た頃から櫻飯を食して居た」と言うが、
長岡藩の牧野家の支藩や分家で櫻飯を食さないのは何故だ?

司馬遼太郎が『峠』を執筆する前に長岡に取材で来たが、
長岡の藩士の子孫で櫻飯を食した者は、皆無だった。

我に尋ねたところ、
長岡の藩士の子孫で櫻飯を食した者は、大正九年五月で最後だったそうです。

山中騒動で河井 繼之助に助けられた荘屋の石塚家が
村人たちとの目出度い和解の席で、
櫻飯を振る舞った事を、「河井 繼之助の好物が櫻飯」にすり替えて話を創作したのだろう(大和田爆笑)

大正時代に金が貯まって来た長岡の百姓たちが、
醤油おこわ ・醤油赤飯を炊く様に成ったのだろう。
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E9%86%A4%E6%B2%B9%E3%81%8A%E3%81%93%E3%82%8F%E3%80%80%E9%86%A4%E6%B2%B9%E8%B5%A4%E9%A3%AF&x=wrt&aq=-1&ai=8d47b28a-0344-4f94-b244-8b5c919cf495&ts=34148&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa