下男とはいえ、インテリジェンスの家系の豹吉が名門の当主の山本帯刀に筵を掛けるなど、断じて有り得ない。

諸橋嘉久
14 秒前
時代劇用語指南
白洲(しらす
2010/04/01
町奉行所で、奉行が裁判を行う広間に面した庭には、白い小砂利が敷かれていて、これを白洲といった。裁きの場の潔白さを示すためとされており、そのため、裁判を受ける場は、一般に「御白洲」と敬称を付けて呼ばれた。被疑者はこの白洲に座らされ、犯罪事実の取り調べ、すなわち吟味(ぎんみ)を受けた。平民の場合は、筵(むしろ)が敷かれ、罪を犯した武士や僧侶は板縁の上に座らされた。白洲は、裁判を行う象徴的な場であったので、放火・博打・盗賊などの凶悪犯罪を担う火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため)も役宅の庭に白洲を敷いて裁判の場とし、代官所や関所などにも白洲がもうけられた。白洲の脇には、突棒(つきぼう)、刺股さすまた)、袖搦(そでからみ)のいわゆる捕り物の三つ道具が並べられた。被疑者が白洲に引き出されるときは、すでに吟味方与力によって予審が終わっているので、町奉行が白洲に出るのは、初審の人定尋問と判決言い渡しのときの2回だけのことが多かった。

 

簀巻き(すまき)とは筵でものを巻くこと、または巻いたもののことを言う。もしくは、それから転じた死刑の方法の一つである。
概要
元々は身体を筵(むしろ)で巻くことを指していた。しかし、その状態で水の中へ放り込む殺害の方法を指す言葉としても使用されるようになった。

 

殺害法としては犯罪に対して科せられる正式の刑罰としてはあまり見られず、むしろ博徒による私刑の際に多く用いられた。縄で縛られ水に放り込まれても必ずしも死ぬとは限らず、このため重い懲罰や抗争相手を「とっちめる」際に使われた。

 

また、吉原遊廓で「心中」「枕荒らし」「起請文乱発」「足抜け」「廓内での密通」「阿片喫引」など吉原の掟を破った者の処刑方法としても用いられた。この場合は殺された後に素裸にされ荒菰(あらごも)に包まれ、浄閑寺に投げ込まれた。人間として葬ると後に祟るので、犬や猫なみに扱って畜生道に落とすという考えによったとものとされている。

 

古代モンゴルでは貴人を処刑する際は血を流さず殺すという慣習があったため、グユクの妃であるオグルガイミシュが簀巻きで川に投げ込まれ処刑された例がある。

 

明治時代、黒田清隆が酒席で暴れているところを木戸孝允に取り押さえられ、拘束目的で簀巻きにされたことがある[1]。

 

一般的な遊びの中でも用いられることもある。

 

5:30辺り
監視をしていた宇都宮藩兵の記録によると
吊るされながらも豹吉は自分に掛けられた
筵を足で引きずり山本に掛けてあげました

 

監視をしていた宇都宮藩兵の記録とやらの誤りか、意図的に山本帯刀を貶めて居ます。

 

>被疑者はこの白洲に座らされ、犯罪事実の取り調べ、すなわち吟味(ぎんみ)を受けた。平民の場合は、筵(むしろ)が敷かれ、

 

>元々は身体を筵(むしろ)で巻くことを指していた。しかし、その状態で水の中へ放り込む殺害の方法を指す言葉としても使用されるようになった。



>殺害法としては犯罪に対して科せられる正式の刑罰としてはあまり見られず、むしろ博徒による私刑の際に多く用いられた。

 

名門の当主の山本帯刀に筵を掛けるは、侮辱なり。
下男とはいえ、インテリジェンスの家系の豹吉が名門の当主の山本帯刀に筵を掛けるなど、断じて有り得ない。