志々雄さんが喜んで自惚れる(大和田爆笑)

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2020.09.14
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https://www.jidai-show.net/2019/12/31/post-nb202001-1/
戊辰戦争の際、官軍と奥羽列藩同盟の間で武装中立を目指した長岡藩家老・河井継之助は、「英雄」として語られることが多い。しかし、彼は本当にそうだったのか――。
藩を救うために諸国を巡った若き日、妻・すがとの絆、会津藩家老・秋月悌次郎仙台藩隠密・細谷十太夫、そして武器商人エドワード・スネルとの親交を通して、動乱の時代を峻烈に生き抜いた人間・河井継之助の、真実の姿に迫る感動巨編。
司馬遼太郎が『峠』で書いたのとは違ったかたちで、一人の人間としての河井継之助を鮮やかに描き出した、著者渾身の歴史小説
Amazon内容紹介より)
 
本書は、新選組の隊士たちにスポットを当てた作品を多く発表している著者が、戊辰戦争の際、官軍と奥羽列藩同盟の間で武装中立を目指した河井継之助の人間像に挑んだ渾身の作品です。2018年、第6回野村胡堂文学賞受賞作品。
 
新潟県で50%の普及率をもつ地方紙「新潟日報」をはじめ10紙で連載されました。
もうすぐ、『峠』とは別の形で描き出される、継之助に出会えることが楽しみです。
 
2020年、『峠』を原作とした映画「峠 最後のサムライ」も公開されます。


『龍が哭く 河井継之助』でハイマンナンは、『奥羽越列藩同盟』と書いて居た。
何故、Amazon内容紹介では、『奥羽列藩同盟』なのか?
其れはAmazonが我を真のインテリジェンスだと認めたからほかない。

2018/3/2 16:49
 
奥羽越列藩同盟は存在しなかった。
30年近く前に長岡市で、戊辰戦争の催しに『奥羽列藩同盟の公文書』が展示されました。
慶應四年六月何日と書いて有りました。
奥羽列藩同盟に北越六藩が五月上旬に加盟した筈なのに!?
北越六藩を無視された様で、我は悲しかったです。
 
奥羽列藩同盟に會津と荘内は何故、加盟して居ないのか?
奥羽列藩同盟とは、奥州(會津)羽州(荘内)を救う列藩同盟と言う意味なのです。
奥州と羽州の列藩同盟と言う意味では無いのです。
拠って、奥羽列藩同盟に北越六藩が加盟したところで、『奥羽越列藩同盟』とは成らないのです。
 
 
5月4日
朝、摂田屋村にて軍議。河井継之助佐川官兵衛、激論を交わした後、協定を結ぶ。←この協定締結で長岡藩が奥羽越列藩同盟に加わったとする歴史書(『仙台戊辰史』 等)が多いが、列藩同盟への加盟について書かれた長岡藩関係の記録は見当たらない。
 
 
そして、最も驚愕したのが「奥羽越列藩同盟」は存在しなかった!という説。
ええーーっ!そんなバカな と思いましたが工藤威著「奥羽越列藩同盟の基礎的研究」を読んでみたくなりました。
 
奥羽越列藩同盟の基礎的研究」では無くて、「奥羽列藩同盟の基礎的研究」
 
工藤威『奥羽列藩同盟の基礎的研究 (近代史研究叢書 (5)) 』(岩田書院、(2002年)ISBN-10: 4872942612
 
補足
『奥羽列藩同盟』に越後諸藩は加盟して居ません。
『奥羽列藩同盟』に加盟した時点で大名家の家老一名は、白石城に常駐させられます。
越後諸藩の大名家の家老は誰一人、白石城に常駐して居ません。
仙臺が世良修蔵を斬首して、白石城に集まって居る奥羽の大名家の家老を人質としたのです。