甘粕繼成の嘘を見破れない奴(大和田爆笑)

ここ3週間ほど加茂軍議周辺の奥羽越列藩同盟を調べていて その間、ケアに入ったある人が、私のことを「怖い」と言ったらしい話しが今日届いた、2週間前のこと ちょうど村松七士事件を調べていた 人を殺す人間もやばいけど、人を殺させる人間は比べようがないほど危険だ ということを考えていた 3:20 - 2019年4月12日

村松藩のモヤっとした煮え切らない姿勢にイラついて加茂軍議で長岡藩士の無能を棚に上げるために村松藩を生贄にして、話を長岡藩主導として、無能を雪ぐ為に同盟を利用した河井継之助という人間の危うさに突き当たったのが昨日 そうならざるを得なかった状況はこれから解きほぐして行く 3:20 - 2019年4月12日

兎も角も分かったのは、やばい人間について調べるのはやばいのだ その都度感情を揺さぶられるのが原因なのだろうが、他に良い調査法のアテがない 今回のことで、恐怖による支配の脆さが確定した、目前に迫った死は恐怖による支配を容易く破壊して、逃走させる 恐怖心を麻痺させてはならない 3:20 - 2019年4月12日


加茂軍議は米澤『甘粕繼成日記』が捏造した話

http://www.fan.hi-ho.ne.jp/gary/naga001.htm


5月4日

朝、摂田屋村にて軍議。河井継之助佐川官兵衛、激論を交わした後、協定を結ぶ。←この協定締結で長岡藩が奥羽越列藩同盟に加わったとする歴史書(『仙台戊辰史』 等)が多いが、列藩同盟への加盟について書かれた長岡藩関係の記録は見当たらない。

奥羽越列藩同盟は存在しなかった。

會津・荘内・桑名・北越六藩による、連合軍が米澤と同盟したのが実態でしょう。

http://nakahori2.mints.ne.jp/shiseki/boshin2.html

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E4%BA%95%E7%B6%99%E4%B9%8B%E5%8A%A9#.E3.83.89.E3.83.A9.E3.83.9E

    『長岡城を奪還せよ』

    平成27年(2015年)2月28日放送のUX(新潟テレビ21)制作によるスペシャル番組。北越戦争が開戦してまもなく、新政府軍の奇襲攻撃により、長岡城はあえなく落城する。本来なら城が陥落した時点で終戦となるはずが、長岡藩は加茂に集結した会津、米沢など奥羽越列藩同盟諸藩の力を結集して、長岡城を奪還する。加茂に集結した奥羽越列藩同盟の諸藩が開いた作戦会議、「加茂軍議」で会津、米沢といった大藩を御し、小藩の長岡藩が主導権を握るといった離れ業を演じたのが河井継之助である。北越戦争の端緒となった「小千谷談判」、「加茂軍議」、敗走する長岡藩士とその家族等が抜けた「八十里越」の3局面を軸にドラマで「再現」。林修河井継之助記念館(新潟県長岡市)館長 稲川明雄のトークと共にそれぞれの場面、局面の厳しさ、北越戦争の真髄を切り取っていく。

>「加茂軍議」で会津、米沢といった大藩を御し、小藩の長岡藩が主導権を握るといった離れ業を演じたのが河井継之助である。
其れが事実ならば、河井 繼之助が村松軍を長岡軍の附属とする筈ですよ。

>米百俵の話は河井継之助が戊辰戦争で長岡を焦土にしたせいでうまれたと思うと


白井良三郎は干城隊で越後に出征したが、村松城下が燃え上がるのを目撃。
「敵が退いたからと言ってあんなに焼く理屈はない」と思って聞いたところ、
今度は米沢藩の放火だった。村松藩米沢藩から脅されたが中々従わなかったので放火されたらしい。

「加茂軍議」で村松を罵倒、恫喝したのは河井 繼之助では無くて米澤ですよ。