眞田信繁の実態

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Sep 28, 2011
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我は新潟県で生まれ育ちましたが、

戦国時代最強の大大名は、上杉謙信
戦国時代最強の中大名は、立花宗茂

と確信して居ります。

大坂夏の陣で「眞田こそ日本一の兵」と島津が持ち上げて、
後に徳川家康を大嫌いな大坂の講談師が、
眞田幸村なるキャラクターを作り上げて、
徳川家康を扱き下ろして眞田を持ち上げた。

眞田信繁を討ち取った西尾宗次は、
全く評価されていない。

「戦いに疲れて休息中の眞田信繁の首級を挙げた」との理由で、
西尾宗次は全く評価されていない。

此れは変な話です。

休戦協定を結ばない限りは、戦争中なのです。

徳川家康及び徳川秀忠父子からは褒美を、松平忠直からは刀などを西尾宗次は賜った。

徳川から観たら、眞田信繁はこの程度の価値しか無かったのです。

身分が高くないとはいえ、西尾宗次は旧眞田領を賜らず、
大名に大出世しませんでした。

要するに、眞田信繁の実態は小物に過ぎなかったのです。