基地外で嘘吐きの荘内ヲタ(大和田爆笑)

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2019.10.17
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【ヒストリア】西郷と戦った男、庄内藩の酒井玄蕃、官軍と戦って一度も負けなかった裏に本間家が付いていた。書付が出てきて鉄砲・弾薬三万四千五百両ざっと104億円強かったお陰で官軍も寛大な処置で武装解除と殿の謹慎で済む。【本間様には及びもないが、せめて成たや殿さまに】と歌に残る!!。 5:25 - 2019年10月13日

幕末~戊辰戦争

>久保田城へ迫ったが、新政府側が秋田戦線へアームストロング砲やスペンサー銃等の最新兵器で武装した佐賀藩(正確には佐賀藩内の武雄鍋島家)の兵力を援軍として投入したため、戦線は旧藩境付近まで押し戻されて膠着状態となった。<

これを負けと言う。
負けを認めない荘内人(大和田爆笑)

明治元年12月に公地没収。11代・忠篤は謹慎処分となったが、弟・忠宝が12万石に減封の上、陸奥会津藩へ、翌明治2年(1869年)6月には磐城平藩へと転封を繰り返した。本間家を中心に藩上士・商人・地主などが明治政府に30万両(当初は70万両の予定だったが揃わず減額が認められた)を献金し、明治3年(1870年)酒井氏は庄内藩へ復帰した。<

明治政府に30万両(当初は70万両の予定だったが揃わず減額が認められた)を強請られて、
本間家らが献金して助かっただけ。
何が西郷隆盛の大徳だ!(大和田爆笑)