第三軍司令官・乃木希典と参謀長・伊地知幸介の人海戦術以外のなにものでもない。

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2020.09.19
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注目の返信
諸橋嘉久
32 秒前
米国系ユダヤ人から借金をして
かろうじて日本海海戦という戦闘に、
勝利したに過ぎません。
 
そして、この時にした借金を、
日本人は82年もの長い間、
コツコツと返しつづけたのです。
 
>なぜ日露戦争で莫大な借金をしたと思う?人が大事だってわかってたから、人海戦術ではなく火力を重視していたからだよ。
 
其れは海軍の話です。
軍艦、燃料、弾薬などを購入して、日本海海戦で勝利した。
 
児玉源太郎(1852~1906年)は 日露戦争で難攻不落の旅順103高地を攻略できず苦戦していた状況を打開するために 強大な大砲(28センチ榴弾砲)を203高地の最前線まで運ばせ一挙に攻略した立役者として知られています。
 
この大砲(28センチ榴弾砲)は 東京湾内に入る敵艦を撃沈するために お台場や観音崎に据え付けられていたもので 18門を取り外し野戦用に旅順まで運び ロシア軍の203高地要塞を破壊し旅順港のロシア艦隊を撃滅する上で威力を発揮しました。
 
日本軍が203高地を攻略したのは 児玉源太郎が旅順に到着してからわずか4日後であり 司馬遼太郎は「坂の上の雲」の中で 203高地で苦戦し日本軍の死傷者6万2百人 死者1万5千4百人を出したのは 第三軍司令官・乃木希典と参謀長・伊地知幸介の無策・無能に原因があったと バッサリ切り捨てています。
 
児玉源太郎は 無二の親友だった乃木希典の軍事的才能の限界を認識しながら 一方で軍人精神と明治人の美意識の体現者として尊敬の念を持っていたと言われ 日露戦争終結後、旅順攻略における人的被害の大きさから陸軍部内で乃木を非難する声が上がった際に 児玉は「乃木でなければ旅順は落とせなかった」と一貫して擁護したそうです。
 
 
第三軍司令官・乃木希典と参謀長・伊地知幸介の人海戦術以外のなにものでもない。
日露戦争以前から在った28センチ榴弾砲を、お台場や観音崎に据え付けられていたもので 18門を取り外し野戦用に旅順まで運び ロシア軍の203高地要塞を破壊し旅順港のロシア艦隊を撃滅する上で威力を発揮しました。