『SLAM DUNK』(スラムダンク)
https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201112010002/
馬鹿馬鹿しい漫画・アニメでしたね(大和田爆笑)
http://ja.wikipedia.org/wiki/SLAM_DUNK#.E9.80.A3.E8.BC.89.E7.B5.82.E4.BA.86
http://ja.wikipedia.org/wiki/SLAM_DUNK#.E3.83.86.E3.83.AC.E3.83.93.E3.82.A2.E3.83.8B.E3.83.A1
>開始当初は高視聴率だったが、1995年10月ごろから裏番組『筋肉番付』に苦戦し、原作に追いついてしまったためテレビ朝日での放送が終了となった。
回想場面みたいな以前に放送した場面を不必要な迄に入れて、
話を引き伸ばして居た。
我の計算では、もう少し話を引き伸ばせば、山王戦までテレビアニメで放送できた筈だ。
坂本龍馬の嘘
https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201203010000/
>う~ん、チョット弱い説明かな!
>>兵糧米は充分に蓄えて置くものです。
>その充分な蓄え用として考えられるんじゃないかな。
ましてや、幕府、長州、外国など仮想敵国との戦争は予想できたしね。
兵糧米は毎年入れ替えるのが当たり前です。
一年過ぎたら古米です。
古米を取り扱う業者に買い取らせれば良い訳です。
毎年入れ変えずに二年過ぎた古古米なんて業者が引き取らないでしょう。
電気を使う設備で米を保管する現代では麦と古米と古古米を混ぜて炊いた麦飯を囚人に食わせているそうです。
当時の古古米なんて不味くて食べれる物では無かったでしょう。
長州からの大量の兵糧米を入れる隙間は薩摩の兵糧倉に有る筈が無いのです。
>>大事な兵糧倉は設置出来る所は限られています。
>これは更に弱い!
>10年後の為の兵糧じゃないですよ。
長州に薩摩は援軍を派遣しませんでした。
実際に薩摩が旧幕府を攻撃したのは慶應四年ですよ。
水捌けが悪くて風通しが悪い所に兵糧倉を設置しても、
米に黴が生えて米が腐敗します。
貴方の常識では兵糧米は10年保存できたのですね。
>貴方のユニークな創作ネタの中では
>面白いってほどの書き込みではなかっただけに
>説明も弱かったね!
>更なるブログ、サイトめぐりで情報を収集して
>面白いネタを書き込んで下さい。
>ありがとうございました。
説明の何所が弱いのでしょうか?
ベストアンサーに選ばれた回答を行ったk1_121さん によると、
薩摩は長州からの兵糧米を受け取っていません。
坂本龍馬と亀山社中が長州からの兵糧米を自分達の物にしたそうですよ。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1144966271
司馬遼太郎(大和田爆笑)
https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201203010001/
>批判する方も史実だとか年齢がとかばかりで
>ドラマに対する批評として面白い書き込みもないですね。
>少し前に話題になってた「花神」は良かったな~~
司馬遼太郎はセンスと頭が悪いので、
あんなものです。
朝日山の戦いでは、桑名兵が時山直八をエンフィールド銃で狙撃して、
奇兵隊が後退したところを、長岡の槍隊が追撃したのです。
ドラマでは架空の長州剣士が、抜刀した長岡兵を斬り撒くって居ました。
奇兵隊と長岡兵の死体が放置されて居ました。
朝日山の戦いに勝ったのは、長岡兵と桑名兵と會津兵の同盟軍です。
長岡の槍隊が追撃した直ぐ後に死体を回収しました。
戦死した全ての長州兵が元込め銃で武装していたので、
長岡兵は驚きました。
岩村精一郎が東山道軍軍監に大抜擢された謎を司馬遼太郎は解けませんでした。
5次元の存在に尋ねたところ、
坂本龍馬を岩村精一郎が暗殺に成功した褒美に東山道軍軍監に大抜擢されたのです。
司馬遼太郎と司馬遼太郎のファンは馬鹿しか居ません。
小千谷談判の真相は、河井繼之助が「共和党と密約を結んだ俺を攻撃したら、来年の雪解けの頃にアメリカ海軍と海兵隊が高田を攻撃して占拠するぞ」と岩村精一郎を恫喝したのです。
海江田信義は大村益次郎を暗殺させた黒幕では有りません。
西郷吉之助が大村益次郎を暗殺させた黒幕です。
Re: 花神総集編第5回
https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201203010002/
>そして同僚とガットリング砲の傍らで語り合います。河井「長岡藩は武装中立し、薩長と会津を調停し、内戦を終結させる。」同僚「それは無理だ。せめて我が藩が百万石の身上であればだが。」河井「白刃の上を素足で渡るようなものだが。(痛そ~、つーか無理!)なあに渡ってみせるさ」と、大見得を切ってみせます。河井はとても頭のよい人にありがちなKYなところがあります。自分の弁舌と気迫で不可能はないとでも思っているのか。統一政権樹立のために薩長は反対派を根絶する必要があります。もう会議の段階ではない。戦争あるのみ。
同僚じゃなくて、嫁の兄の梛野嘉兵衛
史実の河井繼之助はその様な発言はして居ません。
司馬遼太郎の馬鹿と脚本の馬鹿の創作です。
知恵遅れには、日本刀の刃渡りが(痛そ~、つーか無理!)らしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%9C%AC%E7%A7%80%E4%B8%80#.E5.BA.83.E5.B3.B6.E5.95.86.E6.A5.AD.E5.AD.A6.E6.A0.A1
獨立特行を河井繼之助は述べたのです。
獨立特行を武装中立としか解釈出来ない知恵遅れの司馬遼太郎
獨立特行はモンロー主義の影響を受けたものです。
薩長と會津を調停する意義など有りません。
>戦争あるのみ。となれば、薩長につくか、会津につくか二弐者択一になります。
河井繼之助と共和党に密約が存在したそうです。
http://blogs.yahoo.co.jp/quasar2012q/874703.html
>現に河井が目をかけて「百万の軍勢を指揮させたい」と洋式軍隊の指揮官に抜擢した安田鉚蔵からは武装中立は非現実性であり、お家存続のためにも薩長につくべしと反論されて、説得することができず、謹慎させてしまいました。
『河井繼之助傳』を読めば安田鉚蔵の嘘だと見抜ける筈です。
百万の軍勢など何所に存在したのですか?
安田鉚蔵を洋式軍隊の指揮官に抜擢した事実は有りません。
「俺に反対しなければ、貴様を一番隊長にするぞ」の趣旨を
河井繼之助が安田鉚蔵に言ったと安田鉚蔵が嘘を吐いて居るのです。
5次元の存在に尋ねたところ、
河井繼之助と安田鉚蔵は面識が無いそうです。
薩長との開戦を決定した牧野家に反対した安田鉚蔵を、
軍奉行が禁固させたそうです。
>河井の「武装中立」は当然、会津からも理解されません。それどころか、調停をぶちこわして、長岡を西軍の敵に追い込んでやるとばかりに、会津藩兵は戦場に長岡藩の旗指物である五間梯子を撒き散らしていきました。(これは本編に登場)そんなことは露知らぬ河井は小千谷会談に臨みます。「小僧」岩村の顔はもう敵意で強張っています。
『河井繼之助傳』を読めば、デマだったと分かります。
デマだったと分かった上で、性質の悪い司馬遼太郎がデマを史実として『峠』に書いたのです。
>その後も藩へ帰らず他藩を通じて何度も再会談を懇願しますが、効なく、あきらめて引き返します。
史実では、河井繼之助は尾張の徳川家の隊に一度頼んだだけです。
在日工作員を論破(大和田爆笑)
https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201203010003/
>竜馬、陸援隊士がフりーメーソンのメンバーであり
勝手に話を摩り替えないでください。
イギリスのフリーメーソンの手先ですよ。
あんな連中がイギリスのフリーメーソンのメンバーに成れる筈が有りません。
アメリカ合衆国を創ったのは、フランスのフリーメーソンです。
http://10e.org/oldlog/penguintalklog/hurimaison.htm
http://www.ne.jp/asahi/petros/izumi/arano/arano041122.htm
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1114492056
>貴方のお考えでは実行犯が岩村なんですか?
5次元の存在に尋ねたところ、
岩村精一郎は実行犯のボスだそうです。
>岩村が入隊したのは両名の存命中だと言う事ですね。
両名の死後ですよ。
イギリスのフリーメーソンの手先の日本人の中では、
岩村精一郎はランクが陸援隊士達よりも上だそうです。
白々しいです。
と俺が発言したのは、そういう意味です。
>あれ、ひょっとしたら、この本があなたのバイブルなんですか?
読んでから発言してください。
バイブルねぇ
吉外が其の例えを出しますね。
昔の人間よりも現代人は馬鹿
https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201108250001/
中央集権を確立するために、国家としての統合の象徴として天皇が道具として利用された。
そこでは、天皇の公的性は 国家のシンボルとしてのそれなので、封建下における私的天皇「家」とは別の公的性をおびることになる。
諸大名から高い税金を毟り取り、版籍奉還させた。
其れでも堪えない諸大名が居たので、廃藩置県を断行した。
百姓から高い税金を毟り取り、土地を手放させるように仕向けた。
天皇家は日本一の大地主に成った。
天皇から明治政府は税金を徴収しなかった。
天皇家から明治政府は税金を徴収しなかった。
徳川幕府よりも酷い封建体制を明治政府は構築した。
天皇の子分に爵位を贈った。
明治天皇を担いで中央集権したのが薩長です。
封建制度と中央集権の良い所取りを薩長が明治天皇を利用して実現したのです。
封建制における天皇家と その後の 中央集権下での天皇の意味合いが全く異なりません。
爵位は公的なものです。
>たとえば、もしも あなたが言うように 封建制ということならば、天皇「家」という私的権力が日本を支配していたことになる。
そういう私的権力のもとでは、国民国家というのは成立し得ないので、国民の軍隊もありえないことになる。徳川幕府の徳川「家」の例を出すと、徳川家の行使する「軍事力」は 徳川家のものですから、そういう状態では国家としての軍隊は成立し得ない。
徳川家の軍隊に徴兵制度は有りませんでした。
基本的に世襲の軍隊です。
傭兵は居ましたが。
徴兵制度による軍隊と言っても国家を牛耳っている連中の私的な軍隊に過ぎないのです。
徴兵に応じなかった者は収監された筈です。
>国民国家が成立しなければ、「国民」が一丸となって 国のために戦うことはないのです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q129677747
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E6%88%A6%E8%AB%96
>つまり、中央集権というところまでは 認めているわけだ。(笑
天皇による封建制度と天皇による中央集権は何ら矛盾しません。
中央集権を私物化し掛けた大久保利通は暗殺されました。
>逆に言うと、 封建政体では 独裁者というのは 出てこないでしょ、政治原理からすると 出てこない。
独裁者というのは、封建体制を崩して、中央集権化しないと 可能にならない。というのは、封建体制では権力が分散化しているからです。
昭和天皇は封建制度と中央集権化の独裁者でした。
明治天皇が百姓から高い税金を毟り取り、土地を手放させるように仕向けた。
天皇家は日本一の大地主に成った。
天皇から明治政府は税金を徴収しなかった。
天皇家から明治政府は税金を徴収しなかった。
昭和天皇は先代の天皇の遺産の土地を手放さなかった。
昭和天皇を裏で操っていたのは藤原北家の子孫ですが。
>あるいは、こうともいえる、中央集権化し、市民性が育っていない中で中途半端に民主化したときに独裁者が出てくる土壌が形成される。
>だから、 もしも昭和天皇が独裁者であったということならば、そのとき日本は 封建体制ではなかったことになる。(笑
民主主義とは愚者の群れに与えられた玩具に過ぎない。
人頭課税から土地課税への移行は、徴税システムの大きな転換点であり、その契機となったのは「荘園制度」である、そこから日本における律令制=中央集権は崩れ始める-。
この通説は、事実なのか?
荘園制は、八世紀半ばに成立したしくみだ、とよく言われる。公地公民制度の建前の下、口分田の不足を補うために、三世一身法(723年)、墾田永年私財法(743年)を発布し、土地の開墾を促した。しかし、実際には、あらたな開墾は水路工事等を伴うため農民レベルでは成し得ず、力のある貴族や寺社が行なうことになる。結果、旨味は、貴族や寺社だけに集中する。
遡って律令制以前の寺領。たとえば、7世紀初頭にできた法隆寺は、播磨の揖保郡に「水田」を持っていた。6世紀末の四天王寺も、四天王寺自身の「所領田園」を維持している。寺は独自の財源、農地を与えられ、私領をもっていたのである。
つまり、荘園制は8世紀の墾田永年私財法からはじまったのではない。6世紀には、すでに荘園制らしい制度ができていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E9%9B%86%E6%A8%A9
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AE%9D%E5%BE%8B%E4%BB%A4
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1410839189
封建制度と中央集権は矛盾しない。
奈良時代は律令と中央集権が存在した。
「封建制度と中央集権は矛盾する」と発言した白痴ユーザーは豆腐の角に頭をぶつけるべきです(大和田爆笑)
近代化は小栗上野介ら徳川幕府が行ったのです。
近代化を行った小栗上野介を明治政府が処刑して、
小栗上野介が行った近代化を奪ったのです。
ファブルブラント商会(C.&J.FAVRE BRANDT)は、河井 繼之助に武器(兵器)を一つも売って居ないのです。
https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201510310000/
ものの本によると、亜米三といわれたアメリカ三番館のR・スミスや蘭八と言われたオランダ八番館のヘッセ・リリアンタル、それに日本語が達者と言われる楠正兵衛ことイギリスの横浜甲九十番の総支配人ウォーターらが武器で大いに儲けた口のようです。
http://blogs.yahoo.co.jp/quasar2012q/17560647.html
http://sun.ap.teacup.com/souun/1226.html
ファブルブラント商会(C.&J.FAVRE BRANDT)が記載されて居ません。
勘の良い方は、気付いたでしょう。
ファブルブラント商会(C.&J.FAVRE BRANDT)は、河井 繼之助に武器(兵器)を一つも売って居ないのです。
http://blogs.yahoo.co.jp/quasar2012q/17555137.html
南北戦争で南軍が使った中古のイギリス製エンフィールド銃なら、エドワード・スネルでも横濱で輸入できますが、
アームストロング砲と大量のスナイドル銃の輸入は、イギリス人の武器商人のウォーターでなければ、無理でしょう。
我自身に尋ねたところ、
河井 繼之助にアームストロング砲と大量のスナイドル銃を売ったのは、イギリス人の武器商人のウォーター
河井 繼之助にガトリング砲と400発の弾丸をプレゼントしたのが、アメリカ人のR・スミス