>【長岡】令和元年度河井継之助ゆかりの地をめぐるモニターツアーを開催しました(2019年10月19日)

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2020.01.17
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【長岡】令和元年度河井継之助ゆかりの地をめぐるモニターツアーを開催しました(2019年10月19日)

 長岡地域振興局では、令和元年(2019年)10月19日(土曜日)に、新潟県内の大学で学ぶ留学生が参加した「河井継之助ゆかりの地をめぐるモニターツアー」を開催しました。 
 来年公開予定の映画の主人公としても注目を集める、長岡藩軍事総督 河井継之助ゆかりの地を英語でガイドするツアーを実施し、参加者からSNSを通じて地域の魅力を内外に発信してもらい、交流人口の拡大を目指すものです。
 昨年度に引き続き、今回は2回目になります。 参加してくれたのは、国際大学新潟大学で学ぶ留学生25人。ウズベキスタン、フィリピン、マレーシア、インド、バングラデシュチェコ共和国など11か国から新潟に学びにきている学生さんたちです。
 ガイドを務めてくださったのは、昨年度と同様に長岡観光ボランティアガイドの方々です。 
 「河井継之助ゆかりの地をめぐるモニターツアー」の様子を御紹介します。
主催者挨拶の様子です
 集合場所のアオーレ長岡で、主催者から挨拶しました。
 バスに乗り、まずは最初の訪問場所、河井継之助記念館へ。河井継之助邸があった場所に建つ記念館で、継之助の生涯について学びます。
河井継之助記念館での様子です
 河井継之助は1868年当時、日本に3門しかなかったと言われているガトリング砲のうち、2門を購入し、長岡藩の近代武装に努めました。
 河井継之助記念館ではその複製を見ることができます。
 皆さん熱心に説明を聞きます。質問する学生さんも。
継之助の銅像前で記念撮影です
 継之助について学んだ後は撮影タイム。ツアーのパネルを持って継之助の銅像とポーズ。各自、SNSに掲載する写真を撮影します。
榎峠、朝日山を臨みます
 その後は小千谷市へ。信濃川にかかる越の大橋の西詰にある「峠の碑」からは、激戦の舞台となった榎峠と朝日山を臨むことができます。
「峠の碑」前で記念撮影
 継之助を主人公とした小説『峠』の作者・司馬遼太郎氏の直筆が刻まれた「峠の碑」の前で記念撮影です。
 1868年旧暦5月2日に、河井継之助と新政府軍の軍監 岩村精一郎との会見「小千谷談判」が行われた慈眼寺へ向かいます。
慈眼寺での様子です
 慈眼寺の「会見の間」で、ガイドの説明を聞きます。
陣羽織を着てポースです。
 このツアーのために用意した陣羽織と刀を持ってポーズ。
集合写真です
 慈眼寺前にて、ツアー参加者の記念撮影です。
「梅の間」を見学します
 ランチタイムは継之助が小千谷談判決裂後に昼食を取った「東忠」にて。継之助が食事をした「梅の間」を見学します。
ランチの画像です
 ランチはこのツアーのために用意していただいた「継之助御膳」。刻んだ大根の漬物を入れた「桜飯」が継之助の好物でした。
 宗教上の理由などで食べられない食材についても、きめ細かく対応していただきました。
庭での様子です
 東忠では、日本庭園に泳ぐ美しい錦鯉も人気です。
悠久山公園での様子です
 午後は、再び長岡市へ。悠久山公園内の蒼柴神社にて、参拝の作法や、神社とお寺の違いについて学びます。
長岡市郷土史料館の様子です
 公園内にある戊辰戦争の戦死者を祀った「招魂社」や長岡藩主牧野家霊廟、河井継之助の碑、そして城をかたどった「長岡市郷土史料館」を見学します。
北越戊辰戦争伝承館の写真です
 次は北越戊辰戦争伝承館へ。激戦地であった長岡市新組地域の住民から見た戦争の様子を学びます。
集合写真の様子です
 北越戊辰戦争伝承館前でも記念撮影です。
見附市大凧伝承館の様子です
 激戦が繰り広げられた見附市今町に建つ「見附市大凧伝承館」へ。
凧づくりの指導を受ける様子です
 江戸時代からこの地域に伝わる大凧合戦の歴史を学び、ミニ凧づくりを体験します。
凧が完成した様子です
 こんなに素敵なミニ凧が完成しました。
 
 当日は、午後からあいにくの雨が降り、当初予定していた凧揚げはできませんでしたが、留学生の皆さんは隣接する道の駅「パティオにいがた」でお土産を購入したり、SNSを投稿するなど、思い思いに過ごしました。
 帰りのバスでは
「歴史を学ぶことができて興味深かった」
「これまでサムライを想像できなかったが、理解することができた」
「ランチが良かった」「ハラル食に対応いただいた」
「ガイドのおもてなしが素晴らしかった」
「凧づくりを楽しめた」「SNSで紹介したい」
などの感想をいただきました。
 世界各地から新潟に学びに来ている留学生の皆さんに、河井継之助ゆかりの地の魅力を体験してもらい、SNSで情報発信していただきました。 
 これを契機に、多くの人から継之助ゆかりの地を知っていただき、訪問していただければと思います。

>皆さん熱心に説明を聞きます。質問する学生さんも。

具体的にガトリング砲の何について、留学生が質問したのだ?
使えない長岡地域振興局職員を首にしろ!(大和田爆笑)
載せられないガトリング砲の質問とは、
インターネットで我が発表したガトリング砲の情報が正しいと、
河井継之助記念館の職員に留学生が噛み付いた?(大和田爆笑)

>ランチタイムは継之助が小千谷談判決裂後に昼食を取った「東忠」にて。継之助が食事をした「梅の間」を見学します。
>ランチはこのツアーのために用意していただいた「継之助御膳」。刻んだ大根の漬物を入れた「桜飯」が継之助の好物でした。
>宗教上の理由などで食べられない食材についても、きめ細かく対応していただきました。

イスラム教徒を騙した東忠と長岡地域振興局
河井継之助ゆかりの地をめぐるモニターツアー」参加者のイスラム教徒は、
この事をSNSで報復せよ!

櫻飯・・・止めてくらっしぇ
2016.02.02XML
櫻飯・・・止めてくらっしぇ
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河井 繼之助 傳を読めば分かりますが、「河井 繼之助の大好物は、味噌漬飯(櫻飯)」と言って居るのは、山中騒動で河井 繼之助に助けられた荘屋の石塚家だけです。
 
妹の安子も、女房のすがも、「河井 繼之助の大好物は、味噌漬飯(櫻飯)」と証言して居ません。
 
牧野氏は三河武士の末裔なので、赤味噌の三州味噌を好んで使って居たでしょう。
 
河井 繼之助は三河武士の末裔では有りません。
 
河井 繼之助は蒲原郡河井村出身の地侍の末裔です。
 
河井村は明治以降の行政区分では、西蒲原郡
 
西蒲原郡白味噌の食生活文化の筈です。
 
我自身に尋ねたところ、
 
河井 繼之助の家は、白味噌を使って居たそうです。
 
河井 繼之助は味噌漬飯(櫻飯)を食した事は、無かったそうです。
 
長興寺(曹洞宗)の檀家の河井家の食卓は、精進料理だったそうです。
 
一月半に一度は河井 代右衛門は、枡屋で鰻を喰い、
 
一月半に一度は河井 繼之助は、料亭に芸者を上げ、酒を呑み美味い物を喰った。
 
粋な駄目親子(大和田爆笑)
 
http://blogs.yahoo.co.jp/quasar2012q/17536337.html

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