消された本物の初代の河井継之助記念館の館長

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2021.03.24
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河井継之助記念館 館長空席1年超
長岡市、前任の実績大きく人選苦慮
2021/03/23 15:00
 河井継之助記念館(新潟県長岡市長町1)の館長が、空席の状態が続いている。2019年12月に亡くなった前館長の歴史家、稲川明雄さんの存在、実績が大きい余り、運営する市が後任選びに苦慮しているためだ。今年7月1日に継之助の生涯を描いた映画「峠 最後のサムライ」の公開を控え、関係者からは早期の決定を望む声が上がる。
 
 記念館は、長岡藩家老の継之助を顕彰し、市が06年に生家跡地に開設した。継之助の日記や書状、長岡藩が北越戊辰戦争で使ったガトリング砲の模型、小説「峠」の作者、司馬遼太郎の原稿などを展示する。県内外から年間約1万2千人が訪れる。
 
 稲川さんは、北越戊辰戦争で東軍(奥羽越列藩同盟軍)の方が西軍(新政府軍)よりも戦死者が多かったことを明らかにするなど功績を残し、郷土史に関する多くの著書を手掛けた。記念館の開設にも携わり、初代館長に就任。講演や執筆活動を精力的に行い、75歳で急逝するまで13年間館長を務めた。
 
 稲川さんの死去により、館長が空席になって1年3カ月。豊富な知識と優れた発信力があり、記念館の象徴的な存在だっただけに、市は後任選びに慎重になっている。市観光企画課は「歴史家として稲川さんに匹敵する人はそういない。候補者は白紙の状況だ」と明かす。
 
 館を運営する実務能力や河井家との血縁といった基準で候補を選ぶ考えも出たというが、方針は具体化していない。現在は、市文書資料室の室長に館職員を兼任させるなどして人員を補っている。
 
 映画の公開が迫り、全国的な注目や記念館の来場者増加に期待がかかる中、関係者からは市に対し、観光拠点施設のトップを早く決めるよう望む声が上がる。北越戊辰戦争伝承館(大黒町)の元館長でガイドを務める安藤一弥さん(77)は「市長の決断次第。若い世代に交代するのも手だ」と話す。
 
 イベントの開催などで記念館を支える「友の会」幹事の荒木法子市議(39)は、市議会3月定例会で市に現状をただしたが、前進はなかった。「映画を観光振興につなげるためにも、発信や取材の窓口となる館長が必要だ」と注文する。
 
 市観光企画課は「映画関連のプロモーションは市がしっかり取り組み、記念館への観光客の受け入れ態勢も記念館、友の会と連携して整える。その上で後任を探す」としている。


>初代館長に就任。講演や執筆活動を精力的に行い、75歳で急逝するまで13年間館長を務めた。

歴史を改竄するなよ。
二代目の館長だ。
初代の館長は俺が名前も聞いた事が無い人で、
姓名を失念した。
市議会を説得して河井継之助記念館を建立した森民夫長岡市長は河井継之助ファンを公言して居たので、
アンチ河井継之助の稲川明雄氏を意地でも初代の館長に就任させる筈が無いのだ。
最初から殆ど無名の人を「半年だけ館長に就任」の条件付きで、初代の館長に就任させたのだろう。
「二代目の館長なら、稲川明雄氏でも、まあいっか」だったのだろう。

明治時代に某博士が河井繼之助(カワイツグノスケ)と人名辞典に書いてから、
長岡でも河井繼之助(カワイツグノスケ)と読む様に成った。
河井継之助(かわいつぎのすけ)記念館は森民夫長岡市長が司馬遼太郎『峠』の河井継之助(かわいつぎのすけ)に迎合した物だ。
河井継之助銅像にブーツを履かせて、
河井継之助坂本龍馬に並ぶ人物だと思わせる魂胆が、森民夫長岡市長に有った。
河井継之助銅像にブーツを履かせる暴挙を一介の造形・芸術家の一存で出来る筈が無い。
森民夫長岡市長の依頼だ。

>市観光企画課は「歴史家として稲川さんに匹敵する人はそういない。候補者は白紙の状況だ」と明かす。

市観光企画課なんて、金儲けの為なら、嘘も辞さない課だ。
稲川明雄氏は郷土史家なのに、金儲けの為に作家の二束草鞋
稲川明雄氏は『河井継之助焦土作戦』なるものを捏造した負が有ります。
純粋な郷土史家の方が存在意義が有る。