IF 戊辰大垣戦争

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2020.08.24
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 歴史上の仮定として、もし家老小原鉄心の決断がなければ、大垣藩は、会津藩のように明治政府の格好の見せしめ、生贄の藩として、焼け野原にされていたであろう。我々は、当時の大垣市長というべき家老小原鉄心を、もっと評価して感謝せねばならぬ。家老小原鉄心がいなければ、今の大垣の人で、命を授けられなかった人も多かろう。


この人、凡人の限界ですね。
史実を無視して、読んでください(大和田爆笑)

大垣藩は藩主の命令で、新政府軍を迎撃した。
我に尋ねたところ、
大垣藩は単独で、新政府軍を相手に六ヶ月間も防衛戦が出来たそうです。
「信じられない」と思うでしょ?
我に俺が「貴方は光の存在ですか?」と3回尋ねましたが、3回とも「はい」と答えました(大和田爆笑)
史実では
大垣藩は強かったですよ。
開戦から一ヶ月後に長岡軍と高田軍が援軍に来て、新政府軍を後方から攻撃した。
長岡軍と高田軍が到着して、郡上八幡藩が新政府軍を裏切り、長岡軍、高田軍と共闘した。
ヶ月後に戊辰大垣戦争から拡大した、
戊辰美濃戦争は大垣軍、長岡軍、高田軍、郡上八幡軍の勝利で終結した。