長岡藩本陣 「光福寺」

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2012.07.19
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http://blog.livedoor.jp/hokutatu/archives/6928570.html

>慶応4年5月3日夕刻、小千谷談判を終え、前島村から三島億二郎とともに戻った河井継之助は、諸隊長らの前で、「戦い、ついにやむを得ざる」と言い、長岡藩が新政府軍と戦うことを伝えました。

創造主と共に歩む5次元の存在に尋ねたところ、

三島億二郎の嘘だそうです。

河井継之助のとなりに非戦派だった三島億二郎がいるのを見た諸隊長たちは、一藩をあげて戦う決意をしました。

真に非戦派ならば、武士を辞める筈です。

仮に非戦派の武士が居たとしましょう。

掌を返す様に開戦に賛同したなら、嘘吐きか精神病患者です。

三島億二郎は自分がカリスマ武士の如くで有った様に嘘を吐いたのです。