殉難者と言えば、西郷頼母の一族なのだが・・。

https://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/202008070002/

2020.08.07
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その後、只見では族の死に心打たれた住民が協力してなんとか糧食を捻出し、やがて若松から救援物資が続々と只見に到着し、かろうじて急場を凌ぐことができました。
 
丹羽家は会津戦争で12人もの殉難者を出していますが、族の死はその先駆けでした。
午後9:54 · 2020年8月6日·Twitter Web App
https://twitter.com/shikishinobu/status/1291356927616671745
2020.07.22XML
只見町の奴らが主張する「長岡兵、其の家族、百姓、町人ら、長岡からの避難民に只見地方の百姓たちが、種籾を食わせた」美談
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米百俵フェスの予定を立てるのは良いのだけど、全てはコビットの感染状況次第なのだから、ひとつ慎重に。 既に一部では『米百俵の精神』で“団結して断行”みたいなノリが見られたので・・・。 午後9:46 · 2020年7月21日·Twitter for iPhone
 
只見町の奴らが主張する「長岡兵、其の家族、百姓、町人ら、長岡からの避難民に只見地方の百姓たちが、種籾を食わせた」美談
以前に我がブログ記事に書いたが、三島億二郎も小林虎三郎も、
只見地方を訪れず、御礼の品の贈呈どころか、感謝の言葉も発して居ない。
「長岡兵、其の家族、百姓、町人ら、長岡からの避難民に只見地方の百姓たちが、種籾を食わせた」美談は、長岡側には史料は無い。
我に尋ねたところ、
河井 繼之助と今井 孫兵衛が會津領の寺と旅籠屋に金を与えて、
米、味噌、醤油、干し魚を備蓄させて、長岡領からの戦争避難民に食わせる計画だった。
大雨による洪水で只見地方は孤立してしまい、
代官が寺と旅籠屋から米、味噌、醤油、干し魚を奪い、
部下と百姓に食わせた。
河井 繼之助が只見地方に来た事を知った代官は、
米、味噌、醤油、干し魚の備蓄を奪い、横領した罪を河井 繼之助に追及される事を恐れて、
切腹した。